「餅は餅屋」
私が、この一貫性のないブログを書いている漠然とした理由の一つに、文章で上手く物事を伝えられるようになりたいというのがある。
子供の頃から、本が好きだった私はいつか何かを書く事をしたいと思っていたのだが、インターネットが普及し、誰でも世の中の人の目に触れる文章が書けるようになった今、別に仕事にしなくてもいいかなと思えるようになっている。
こういうブログやSNSといったツールができてからは、素人でも舌を巻くほど上手い文章や、美しい描写、面白い表現ができる人が巷に溢れている事を知り、言葉というものは、一つの伝達ツール、表現方法のひとつに他ならならず、大切なのは何を伝えるかという事に尽きる、その「何」が非常に難しい事に気づいたことも大きい。
よく「餅は餅屋」といいますが、最近この言葉をふと思い出す事が増えてきました。
どんなものにも、その道のプロというのがいて、やっぱり素人が見よう見まねでやったところで上っ面しか真似できない。ぱっと見では目で見えないところまで技が行き届いたクオリティの物を作り出すことができるのが、所謂、「餅屋」だと思う。
一般的にそれは「職人」や「仕事」と呼ばれる領域のものである事が多く、一部の人はそれで日々生きていくお金を稼いでいるのであるが、最近私の心にふっと湧くのが「私はいったい何屋さんなんだろう?」という事。
「ママは何屋さんなの??」
というのも、先日娘から「ママは今日もお仕事なんだよね。ママは何屋さんなの?」と聞かれたからである。
女の子(少なくともうちの娘)は、現実社会とリンクした「ごっこ遊び」所謂、ロールプレイングに近い遊びを好む傾向があると思うが、保育園の先生やスーパーの店員さんなど、身近な大人の言動を真似をし、遊びに取り入れいていることが多く、ママもパパも子供の見えない所で「◯屋さん」になっていると想像しているのだと思う。
例えば、ラーメン屋さんやカレー屋さんなど、飲食店で働いていたり、経営していたら非常にわかりやすい。「◯屋さんだよ」と簡単に言えると思うし、「料理を作るプロ」とも言えると思う。また、ソフトウェアやゲーム、おもちゃを作っていたら「このゲーム、おもちゃはパパが作ったんだよ」なんて言えると思うが、目に見える事のない成果を仕事をしている人間にとって、「何屋さんなの?」は返答に難しいだけではなく、大人である私自身もモヤモヤさせる質問であった。
今の仕事は10年以上続けている為、未経験の人と比較したら、そりゃ「プロ」に見えるくらいの知識や経験は積んでいると思うが、それはあくまで狭い会社という組織の限定的な職種においてであり、世間一般的に、一言で説明しろと言われると凄く返答に困る。
ある意味で子供というのは残酷で、大人みたいに相手を慮る事はできないし、しない。世の中には何者でもない人もたくさんいて、何屋さんと胸を張って言えない私みたいな人も存在している事は知らないのだ(笑)だからこそ、時々、大人同士では聞かれる事の稀なこういう「ドキッ」とする質問を投げかけてくるのだが、このストレートな問いが私自身の思考を刺激する事も多く、意外と嫌いではない。
私がブログを書いている理由
話は冒頭に戻るのだが、「私はいったい何屋さんなのだろうか?」これを考えているうちに行きついたのが、それが自分でも判らないから私はブログを書いているのかなという事。
先日『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』という本を読んだのですが、ぼんやりと自分のやりたい方向性というか、何をしていれば自分が幸せなのかが見えてきたものの、ハッキリと「これ!!」というものもなく。
日々自分の中で疑問に思ったり、不思議に感じたり、納得したり、とにかく思いつく事をブログという形で残している事で、自分が何者なのかを探ろうとしているのかもしれないなと思っています。